YOUNG STATEMENT 5/20

 

 

宜野湾からコザで途中下車して、コザからお家まで帰っている。バスだ。1時間ぐらいはもう乗ったけど、あと1時間ぐらいはかかりそう。気が狂いそう。でもバスの前の席の人も、後ろの席の人も、1時間前からメンツ変わってないけど、気が狂っている様子もない。本当は頭を振りまくったりしたいんだけど、落ち着いてすわっとこうとおもう。

 

最悪、イヤホンもパソコンもない自分を、最近はひどく無力におもう。自分に閉じこもりがちなんだ。コザで1冊本を買ったけど、車酔いしてしまうからやめる。困った結果、スマートフォン。さっきまで書いてたものを消して、新しくいま書いている。

 

京都から沖縄に完全に移って2週間が経った。本当にしんどかった。まだしんどい。自分の「生活」の拠点が完全に沖縄になったということ。沖縄に来てからずっと、「生活」の拠点なんて、曖昧にしてきていた。自分の身体が、自分の場所だと言い聞かしてきたし、本当にいろんな島に行ったりもしていた。だから「旅」としてすごしていた沖縄が、急に「定住」「移住」という感覚になったのに困惑したし、「定住者」「移住者」としての自分がいまだしっくり来ていない。それでも自己紹介では、「今、名護に住んでいます」などと言ってしまう。

 

この2週間いろんな人に言われたいろんな嫌な言葉が自分に残っている。いまこの文章を読んでいる、あなたをも傷つけてしまうかもしれないことを承知で、書き起こすことを許して欲しい。

 

 

 

うみくん(こう呼ばれるたび死にたくなる)5/16

「べつに、ほかのひとたちもうみくんって言うでしょ」(そういうことじゃない)5/15

「自分の自信のないことなんか書かなくていい...それは日記や」(無茶苦茶や)5/17

「〇〇に似てる」(わたしはそれが嬉しくない)5/20

 

 

 

書き出しながら、あまりにも瑣末なことに思えてくる。涙も出ない。だけど、こんな言葉たちにいちいちはー死にてーとなっていたのだから、わたしはとてもしんどかったんだとおもう。

 

そういえばそうじゃない言葉、あたたかい言葉もたくさんうけとったんだということを思い出した。

 

 

 

(会えて)本当に嬉しいんです」5/20

「うーみーさーん、(沖縄から)出る前に会えてよかったー」5/20

「韓国で会えたら空いましょうね」5/20

「新しい感性と知性なのに、紙媒体嬉しい」5/20

(肩をさすりながら)大丈夫...?5/19

「本当によく調べて作っているね」5/19

「素敵」5/19

「あの子(うみの友達)と感性似てるね」5/18

「うみさんの言ってることわかるよ」5/18

 

 

 

本当は水曜以前のことも思い出したいんだけど、正確には思い出せなくて。

 

ただ、本当に怖いのは、あたたかさを失うことではなくて、あたたかさをを感じられなくなることではないだろうか。あたたかさを失うことを「死」と置き換えてもいいかもしれない。本当に怖いのは「死」ではなくて、というよりはむしろ「死」を「死」として感じられなくなってしまうことだとおもう。

 

この数日間、あまりにもなにも感じることができていなくて、本当に自分が傷つくのが怖くて、不意に傷つけられることが怖くて、感性を閉じてしまっていた。感性を閉じた自分は、街を歩いても、日々何も感じない自分になっていた。

 

今日、振り絞るように言葉を伝えようとしていたひとや、心を開こうとしてくれていたひとを、バスの中で反芻するように思い出していた。不意に傷つけてしまったのではないだろうか。ダメな人になっている自分を脱ぎ捨てたくなった。まずは、ありがとう。

 

まだバスはあと30分くらいは乗ってないといけなさそうだ。バスを降りてからのことはわからないけど、笑っていたいとおもう。珍しく長い文章書いた。よんでくれてありがとう。