春雷

那覇にいる。3月の終わり。雷で空が壊れている。少し身体も疲れている。長かった一ヶ月の終わりだし、思ったより新年度に期待しているから、ブログ書くことにする。3月ブログ。

 

引っ越したのは6日。それから身体を壊したりして、うるまに行ったのは10日。11日塩川、12日・14日安和。連日、現場に疲弊する。でも15日那覇へ。そこから時間が早い。16日南部。17日読谷。印刷出来上がり。18日辺野古、塩川、安和。19日石垣島へ。20から22西表。23から27石垣。28から31那覇。目まぐるしいね、特に15日以降。

 

本当はこの一ヶ月だけでも1冊作れるとは思う。けど今は日記も何も書いていなくて、どうもふわふわしている。今日図書館に行ったけど、石垣、西表、読谷に関して、もっと準備していけばよかったと思うこともある。けど、いうまでもなく、今できる限界の中で、やっていたという感じがする。体験できなかったことや感じ得なかったことはこれから取り戻したい。19日に訃報を聞いたのが尾を引いているけど、「うりずん」という詩を作った。まだ載せられるほどいいものではないかもだけど、大事な詩に育てたい。

 

今何より困難になっているのは、場所を移ったのをどのように総括するのかということだ。

・場所を移ってどのように見えたのか

・運動としてどのような意味があるのか

・これまでとこれからをどのようにするのか

とかは割とすぐにでてくるか、後から逆算的に説明できると思う。

 

だけど、場所を移った背景に、どうにも語りがたいなまなましい傷跡があったりする。

「若者」として印をつけてまなざされつづけること。語られること。消費されること。消耗してしまうこと。そういったことに家父長制や植民地主義がまとわりついていること。

 

今、この文章を書いている時、誰か個人のことをわーーーーーと書こうとは思わない。書いた方がいいのかもしれないけど、それで解決することではないから。わたしもわたしで、最初からもっと違う付き合い方をしていれば、全然違ったと思う。ただそれを責めるのでは変化として捉えるように、昇華したい。

 

なんとなく書いたけど、まだ纏まっていない。

 

韓国から来たフレンズと過ごした時間と、先日那覇でウチナーンチュと話した時間と、揺らいでいる。4月はゆっくりします。おやすみ。