悪夢

石垣島で風邪をひいている。今月2回目。ほんとどこ行っても身体を壊してしまうの、なんとかしたい。風邪をひいた時にしかならない感覚とかを覚え始めている。さめている。さめすぎるのが怖い、なにもできなくなりそうで。目的や目標みたいなものがなくなってしまいそう。

 

最悪な夢を見た。実家にいた。近所に住むあーちんとりょーくんが一緒にテレビを見るために来ていたけど、何も見ることなく2時間が経った。夜遅くなり、2人を帰しているところ、父がわたしの部屋で暴れているのを、外の窓から見えた。崩れる本棚。なにか声を上げようとした途端震えるように目が覚めた。

 

いつもそう。大切なものを持っていてもそれを壊されるのではないかと思ってしまう。いちいちはじまりを気にしてしまう。親だけでなく周囲の大人に対してもそういう感覚でいるのだと気づいた。これからどうしようかということばかり、毎日考えてばかり。早く風邪が治ってほしい。わたしはここにいるわ。

 

 

 

 

帰る場所のことを最近よく考えるようになった。沖縄はわたしの帰る場所ではない。それは最初からわかっている。でも最近は帰る自分の部屋すら無くなっている。ここに住み続けることはできないなと気づいた12月以降、どこに行くのも不安がある。2日後には荷物が新しい部屋に移ることになる。一生懸命自分のすべきことをしたらいい、そう言い聞かせている。でも、今はまだ、生傷のままだ。

 

そんなことを考えながら過ごしているからか、ずっと過去のことを思い出している。沖縄に来る前、自分を変えたくて仕方がなかった。沖縄に来てから、たくさんの人がわたしを変えてくれたと思う。憧れ、追いつきたくて、必死に走ってきた。よくやったと自分でも思いたい。わたしは生き切った。ただ、これからもそうできるだろうか。もう友人にさえ、明るい顔をすることができないことが、たまに悔しくて仕方がない。

 

沖縄に来れてよかった。いろんなところに行けてよかった。

だが、もうわたしの形はない。どんな形で生きたらいいのだろう。

 

わたしの帰る場所はずっと自分の身体だけだと言い聞かせてきた。でも自分の身体すらも重たくなったら何を信じたらいいのか。鬱という言葉はあまりに重たく響く。最近は帰る場所があるのならは、それは未来だと思った。未来に、見たいと思う未来に帰る。そんなふうに生きていたい。ただ、まだそれを強く信じることが難しい。

 

埋めることのできない心にすら

光はどうかさしていてほしい

2024 1.01

目がかゆくて眠れない。

 

欠乏ばかり埋めたがるわたしには

わたしなんてなくて

あなたしかない。

あなたのことを書くけど

あなたはそれを愛だとか勘違いしないで欲しい。

 

みたいなことをずっと思ってたし今も思う。

でも欠乏はなにもまずしさではない。

欠乏の中にも花開くなにかがあるから

欠乏を手放すことができないんだろう

なにかが欠けていることを居心地悪く思わない。

わたしはずっと欠けていようとおもう。

 

過ぎ去ったものばかり手を伸ばしてしまって

いまも手を繋げていれたらよかったけど

いつもわたしの欠乏が

あなたとわたしを切り裂いてきたこと

わたしは知っている。

欠乏が、あるということ。

非所有の、所有。

 

いやむしろ身体があること。

ないのは身体と身体、身体とこころを

むすぶなにかであって、

それはもしかしたら欠乏とは関係ないのかも(あるかも)

12月24日の記事

風邪をひいた。今年最後の風邪だといいな。今年最後の風邪なんだろう、本当に嫌になる。とっとと死んだ方が楽にならないか。そんなふうに思う。

 

なんのために自分は生きているのか、根本的にもうわからない。

今までしてきたことを何も肯定的に捉えることができない。

今までの「ありがとう」も、「さようなら」も。

もう何もわからない。

 

あと一冊作らないといけない。

本当にもう馬鹿げている、気が狂いそうだ。

自分自身が戦争に飲み込まれそうな気がしている。

大丈夫だろうか。大丈夫ではない。

大丈夫ではなくなったらどうしたらいいのだろう。

あたいの2024その1

あたいの2024その1

 

今、高雄のゲストハウスにいる。もう台湾に来て2週間経つのだというから信じられない。3ヶ月、4ヶ月ぐらい台湾にいるような気がする。言語の習熟はもはや皆無だけど、知らない街で過ごすことがこんなにも時間が長く、重く、それでも振り返ればあっという間でもあったりする。あと1週間で沖縄に帰るということを思えば不安になったりもする。今回、すべてを投げ捨てたくて、沖縄から出てきた。その沖縄に帰らないといけないのはやや不安であり、ストレスも感じる。会いたい人はたくさんいるけれど、もう顔を合わせたくない人もいる。困ったものだ。今日のこの走り書きは、帰るにあたって考えていることを3月末までの予定という感じで立てたい。

 

まず、2024年は、移動をたくさんする年にしたい。沖縄の今借りている部屋にいるのはとても苦しい。そこにいる必要はもうない。不自由や不正義を選びつづける必要はない。部屋を変えるのと同時に、どこででもノマド的に生きられるようにしたい。本土にもよく行く、海外にもよく行く、そういう生活にしたい。移動しながらその場その場でできることをやる。なんというかそれによって本質がずれないかが心配ではある。

 

帰ってまず、台湾のことをまとめないといけないと思う。7号を毎日少しずつ作り、3月中旬までに発行できたらいい。作業できる場所は必要なので、安く提供してくれる人を探そう。期間は3月からまずは1年ぐらい。

その間に口座もちゃんと作りたい。3月4月は出版に向けて一生懸命動く。5月には出版できたらいいな。

今までがなんだったのかを少し考えたい。それを整理するための出版になる。

そして、それから続きを考えたい。8号以降ね。

 

2月 7号のためと本のための準備

3から5月 本のための準備

5月から9月 本を売る?

9月とかになんか面白いことできたら。

年内に8号をはじめられたらいいな。

 

まあ要はうみかじを続けたいけど、どういう方向性でどういう感じにつづけるのかということをちゃんと考えたいし、いろんな人と話してみたい。いろんなことを試してみたい。例えば人と何かをするとか。

 

はっきり言って生活の要素をこの1年半無視してきた。生活がボロボロだ。基本的な普段の生活において、本を読む時間を圧倒的に確保したい。ゼロから知識を作り直したい。あと健康。ちゃんと、病院に行きましょうい。襟足伸ばしたい。

 

まあそんな感じ

一ヶ月後にもう一度ブログを書く頃には、7号は進んでいるかしら、サイトはできているかしら。ワクワク。

自由への反省

・今まで感じていた違和感がひとつわかった。やはり話せない、読めないのに、それを「翻訳」だとくくることの暴力性だ。翻訳の自由とはいいつつも、それがただ言語的な収奪になってないかという違和感。確かに話せないし、少しでも関係をほどきなおすために言葉にすることは大事なのだけど、今のやり方が人間的なやり方かと言われると非人間的、非思想的だと感じた。

 

これでよかったのかな、というのは今回の号だけでなく、これまで全てに対して思うこと。

 

・日記、済州、アルトゥルとつながっていくところについても、韓国の人に向かって何を書いているんだという感じ。これが面白いか?また他の人の意見を聞いているとはあまり思えない。越境とはなにかということをすごく考えさせられる。言語的な翻訳を越境と言えるわけがない

 

でも読み返したらいい雑誌だなーー

失われた情熱を求めて 2023初秋

こんばんは。うみです。今は10月6日、夜。『うみかじ』5号発行からちょうど1週間経過しました。まあいつものことなのですが、本当に炎が消えてしまったかのように情熱がなくなってしまって、毎日困っています。夜も眠れず、たいして面白くもない動画を永遠に見たり、本も読めず、何もできず困っています。それでも。と思い、今、誰もあまり見ていないこのブログに文字をつらつらと。

 

まずこの1週間での反応をまとめていきたい。

 

9月29日、金曜日。Facebookにて、中身にも全く触れられず、ただただ若者を金銭的に応援しましょうみたいなシェアをされる。本号が日本から朝鮮半島への差別・暴力、朝鮮戦争への無知・無関心、そして日本・韓国・朝鮮・沖縄という暴力の構図を描いた。日本語で表現するものとして、できるだけ自らにその責任を引きつけ、表現しうる言葉を探求したつもりだった。それなのに、読まれることもなくただ小銭を投げつけられているかのように感じ、とても虚しくなった。若者が頑張ればなんでもいいのか、大人たちはそれを応援さえしていればいいのか。それともこんなことを思うわたしは傲慢なのか。大人しく可愛がられておけばいいのか。発送準備が朝の五時までかかったが、それまでの間ずっとうずうず考えて過ごした。最悪だ。色々迷った結果、翌日その投稿を取り下げるようにお願いし、快諾していただいた。

 

9月30日、土曜日。実質的に、配布開始。特にまだ感想はいただいていない。だが「あなたはものすごく期待されているからね」と言われたのが嬉しかった。無事に発送のほとんどを終えて、たくさんお酒を飲んだ。

 

10月1日、日曜日。那覇で過ごす。けど自分でうみかじを配布する元気はなかった。それゆえ、ダラダラと寝たりして過ごす。燃え尽きている。まだ何も反応はない。

 

10月2日、月曜日。ゲート前で配り始める。いつも読んでくださっている人が、とても褒めて下さった。読谷のあの人は、いつもより多くの投げ銭をくれた。あたたかく見守ってくれているように感じる。マイクを持って話したので、それもあって、ひとりひとりに渡すことができた。家に帰り、レターパック70冊ほどと、段ボール10個を発送した。どっと安心感が溢れた。これから全国に届く。今はまだ何もなくとも、これから。一番近しい人からの感想、「韓国の日記は読むと苦しい、どう返したらいいのか迷う、知らないことが多すぎて」

 

10月3日、火曜日。ゲート前で配布した。いつもの数人がいつもと変わらない反応という感じ。いつも読んでくれる人はいるものの、やはり日本人の加害責任みたいなものを、読めるひとと読めないひとでは、受け取られ方、表情に違いがある。本当に。とはいえ、今回は情報が多すぎて、わたし自身も建設的にできていないのではないかという感じがした。ひとつ疑問がある。うみかじを作っても、現場で受け取るほとんどの人は、それをSNSで拡散したりすることがない。もちろん数部持っていってくださる方もいる。議論をはじめてくださる人もいる。ありがたい。でもなかなかそれが外に出ることがない。こんなに近くにいる現場の人たちとでも。それは、わたしが頑固に紙媒体でやっているからというのもあるかもしれないが、やや寂しさを感じる。もっと話し、ほどき、変革へと、と思っているのに。韓国の友達から、韓国にいた時の写真が届くけれど、今明るい返事ができずに、留保する。

 

10月4日、水曜日。知事の判断どうなるのだろう、とか思っていたら朝の5時まで起きてしまって、ダラダラとゲート前にいく。今はうみかじどころではない。今日は配るタイミングではないな、と感じ、最後の最後まで配布を迷っていた。でもできるだけ早く終わらしたかったので、最後にお土産のように配布した。自分で議論を封殺したと言ってもいい。ダメだな。でも現場は現場の空気がありそれを壊したくはない。メール「5号を読み、ハングルを学ばなくては!と思った」というライトな内容。この人には、運動やうみかじを、どこか搾取されているように感じなくもない、良心的な人なんだろうけど。ストレスフルすぎて、夕方甘いものを食べにいった。でかい紅芋サンデー。「5号が一番いいね」と言われた。恥ずかしくて自分の言葉でその続きを遮ってしまったが、その意味をもう少し追求してきけばよかった。

 

10月5日、木曜日。ゲート前で配布。自分のしていることが今の辺野古とあまりにずれているような感じがして、自己嫌悪に陥る。というか、今現場はうみかじどころではない。色々重なりすぎて、眠れない。でもマイクを持って話すときは少し話した。「韓国について知らないことだらけだった」というメール。「までぃ(心を込めて丁寧だ)」というメールは嬉しかった。「現地に身を置いて感じることの大切さ」というメッセージ。少しずつ温かいメッセージを受け取る。今までの一年の振り返りをした。もっとひろく議論を呼ぶためにはどうしたらいいのだろう。大手出版社に日記を出版してもらおうか、映画か、いろんなことを考え、今日も朝まで眠れない。

 

10月6日、金曜日。「たくさんのエネルギーありがとう」というメール。いつも顔を合わせる人からの「言葉が難しく感じてしまう」というメールには、なんともいえない信頼感を感じた、そうだ、そこは直したいところだ。3日、4日、5日あたりと比べて、少し平熱に戻っている現場。

 

みたいな感じだ。まあ最初の1週間だからということもあり、またそれと同時に、今、辺野古はそれどころじゃないということもあり、なかなか困難な位置を過ごしていたと思う。今後、どのように受け取られるのか、ということを注意深く耳を傾けたい。

 

やはり、5号は、韓国に偏りすぎていたと思う。それはひとつの反省点だ。というのも、韓国と沖縄、辺野古の連なりを十分に描けていないからだ。自分の中でつながっているもの、連なって見えているものを、そのように表すことは難しい。ただ今回の感想では「じっくり読むね」という言葉をたくさん聞いた。じっくり読むものを目指すのか、それとももっと浸透しやすいものを目指すのか、その辺りの舵取りを、今後慎重に考えたほうがいい。

 

まあこうなってくると失っているものは、情熱なのではない気もする。

 

Hell is paved with good intentions.

はっきり言って、今ものすごく心身のバランスを取りながら、居続けることが難しい。ずっとSNSであがっている声を読んでいる。沖縄の怒りといった括り方を絶対にしたくないのだが、それでも沖縄の怒りの声をみて、そしてその矛先はまぎれもなくわたしひとりにも向いていて、とてももう表情を持てない。いつも自分が頼りにしている、自分自身の身体も、もうあまりにも脆すぎて、悲しくなる。瞬間瞬間において、これからも足場を喪失していくだろう。Hell is paved with good intentions。地獄は良き意図によってももたらされる、皮肉的に言いたいわけではない。ただ、あんたは一体なにがしたいんだ、あんたはなんなんだ、1年間ずっとわたしの身体に向けていた問いは、今あまりにも鋭くとがっている。

脳が少し麻痺している。感性がもう擦り切れてしまいそう。そうしているうちにまた少し楽になったりして、言葉は出てくるのだろうけど。あれほど希望や自由を込めた言葉も、いとも簡単に捨て去られてしまうのならば、わたし自身も痛々しいほどに脆すぎるな。

 

これを書き終わった後、Twitterのメッセージがきた。「特に韓国のレポートは圧巻です」少し安心した。

 

追記1(10月11日)

10月6日以降の数日についてまとめてみる。今は5日前ほど神経がとがっていない。なんとか。

 

10月7日、土曜日。ゲート前で配布。いろんな初めて会う人と繋がった。投げ銭もたくさんいただいた。内容についてはまだ何ももらえなくとも、続けていることを認識してもらえたのはよかった。うみかじを読むと平和な気持ちを取り戻すという言葉をいただく、メールで。

 

10月8日、日曜日。特に何もないなー。

 

10月9日、月曜日。いろんなことを考える。海外に発信したほうがいいのではないか、海外の環境団体。違うイベントをしたらいいのではないか。とかとか。

 

10月10日、火曜日。銀行が停止している。

10月11日、水曜日。多くの投げ銭が振り込まれていることを確認する。

 

ありがたいけど、次の段階を、さらに創造的なことを考えたい。何よりも。